温厚で最強だった大杉勝男。八重樫幸雄は路上での緊迫の場面に「ヤバい」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

「オープン球話」連載第49回

【試合後いつも、自宅まで送ってくれた】

――さて、今回も元ヤクルトのチームメイトである大杉勝男さんについて伺います。お互いに横浜に住んでいたということで、まだ免許を持っていなかった八重樫さんを試合後には自宅まで送ってくれたということでしたね。

八重樫 大杉さんの自宅の手前に僕の家があったので、僕を降ろしてからご自宅に帰っていました。それ以外に、大杉さんの家に招かれて奥さんの手料理をごちそうになったりもしましたね。当時、大杉さんのお母さんもいらっしゃったんですよ。車椅子に乗っていらっしゃったんですけど、僕と、のちに打撃投手になる小林国男さんと2人で車椅子を押したりしました。

1970年の大杉(東映/左)とボレス(西鉄/右)による乱闘。大杉のパンチがボレスに炸裂する1970年の大杉(東映/左)とボレス(西鉄/右)による乱闘。大杉のパンチがボレスに炸裂する――試合後、いつも自宅まで送り届けてもらうというのは、いくらご近所で免許を持っていなかったとはいえ、大先輩にそこまでしてもらうのは気まずくなかったんですか?

八重樫 もちろん、こちらも「いやいや結構です」って遠慮するんだけど、「近いんだからいいよ、乗ってけよ」と言ってくれるんですよ。僕は試合後、試合の反省をしたり、マッサージを受けたりしてクラブハウスを出るのが遅くなるんです。だから「どうぞ、先に帰っていてください」って言っても、「いいよ、待ってるよ」って、いつも待っていてくれたんだよね。

――メチャクチャいい人ですね、大杉さん!

八重樫 なおさら、「申し訳ないな」って思ったよ。でも、大杉さんもクラブハウスを出るのは遅いほうでしたけどね。試合に集中しているから、少しの間、頭を真っ白にする時間が必要だったんじゃないのかな? 気持ちをリセットしてからクラブハウスを出る、という感じだったと思いますよ。その証拠に、帰りの運転は信じられないぐらい安全運転なんです。むしろ、イライラするぐらい超ゆっくりなんです。法定速度80キロの高速道路を、50キロぐらいで進むこともあったからね(笑)。たぶん、試合後すぐにハンドルを握ったら、ああいう運転はできなかったんじゃないのかな。

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