2021.01.19

秋山、伊東、工藤を獲得した
ドラフト戦略は「裏工作」と揶揄された

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「伊東の担当スカウトは島原(輝夫)、それに坂井(保之)代表も一緒に動いていました。そのふたりが、伊東の後見人である熊本県議会議員の八浪(知行)さんに接触していたから、僕はその関係性に頼っていたんです、最初は。ところがなかなか前に進まない。『どうなってる?』って島原に聞いたら、『いや、まだ全然』って言うから、『おまえら、退いとけ。オレひとりでやる』って言ったんですよ」

 後見人の八浪県議は母校・熊本工高の元監督で、伊東が2年生の時まで指導していた。しかも過去に外野手として西鉄でプレーしており、同じ西鉄出身の浦田は入れ違いだったが、八浪の家族との接点があり、会えば気楽に話せる間柄になっていた。そこで伊東の話を持ち出すと「ゆっくりでいいじゃないか」と八浪が答えたので、浦田は「ゆっくりじゃダメなんだ」と返した。

 ただ、「ゆっくり」には理由があった。伊東は80年夏の甲子園に出場し、強肩とキャッチングのよさを高評価された上、2本塁打を放ってドラフトの目玉選手になった。だが、伊東は熊本工高定時制の3年生。卒業までに1年を残していたため、ドラフト指名対象選手にはならない。ゆえに各球団とも翌年に指名する意向を伝えていたから「ゆっくりでいい」だったのだが、浦田は違った。

「僕は八浪さんに『いま持っていかなきゃ、持っていけないんだって』と言ったんです。いつ、よその球団が動き出すか、わかりませんからね。それで『悪いけど、八浪さんも退いとって。オレひとりでするから』と言ったら、『わかった』と。そうして僕ひとりで攻めることになったんですが、両親はもう社会人の電電九州(現・NTT九州)に決めているんです。兄貴もそこで野球やっていましたから」

 2歳年上の兄・修も熊本工高出身の外野手で、プロ入りの話もあったが駒澤大に進学。東都大学リーグでプレーして卒業後、電電九州に入社していた。弟の勤も同じ会社に入ると決め込んでいた両親のもとへ、浦田は何度も訪ねた。よくよく聞けば、電電九州に誓約書を差し出しているから断るわけにいかないという返答。そこで浦田は、誓約書は法的な効力を持たないことを説いた。