リアル「あぶさん」になっていた⁉︎門田博光が明かす幻のヤクルト移籍話 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 ちなみに、この年は111試合に出場しており、つまり2.7試合に1本の割合でホームランを打っていたことになる。「代打でキングも不可能やない」と言った門田の途方もない言葉にリアリティが灯る。

 なにより、誰もが思いつかないこと、不可能と思えることに「よっしゃ!」と挑んできた男だ。"限界突破"を自らに課し、数々の伝説、記録を成し遂げてきた。

 門田がユニフォームを脱いだ1992年は、野村がヤクルトの監督就任3年目で初のリーグ制覇を果たした年である。その翌年、再び監督、選手としてふたりが同じユニフォームを着て戦っていたとしたら何が起こっていたのか......。

「試合終盤におっさんが『代打・門田』を告げてワシの出番や。ベンチを出る時、おっさんに『今日は一発か三振でいく? それともヒットでええの?』と聞くんや。これにおっさんが、ボソッと『わかっとるやろ』と。そこからひたすら集中して、狙いを定めてガツン。あとはゆっくりダイヤモンドを周って、『はい、今日の仕事は終わり。お疲れさん』や。なんや、話してたらだんだん面白なってきたな(笑)」

 実現していたら、どれほどのドラマがおき、どれだけの数字を残しただろう。代打本塁打といえば、高井保弘(阪急)の27本がある。門田の言葉が現実となっていれば、この世界記録さえ1シーズンで更新されることになる。

「そら、やるならターゲットはキングや。そこを目指さんで何が面白いんや」

 もう一度、門田はいった。まさに"漫画"のような夢物語だが、それでも「ひょっとして......」と思わせる力が門田にはある。"代打屋・門田博光" ──できることなら見てみたかった。

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