リアル「あぶさん」になっていた⁉︎門田博光が明かす幻のヤクルト移籍話 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 もし移籍が実現していたら、門田の現役生活はどう展開していったのか。セ・リーグには指名打者制度はない。

「何試合か守ることはあったとしても、まあ基本はひと振りやろうな。"あぶさん"や」

 この話を聞く少し前に『あぶさん』の作者である水島新司が漫画家の引退を発表していた。現役時代、水島と交流のあった門田はあぶさん(景浦安武)のチームメイトとしてたびたび作品に登場している。つまり、門田がひと振りにかけるあぶさんと同じ野球人生を送っていたかもしれなかったわけだ。

「代打・門田」は強烈なキャラクターと相まって、人気を博しただろう。とくにアキレス腱断裂から復帰してからは、一発必中のスタイルを追求し、40歳で本塁打と打点の二冠王を獲得。打席のなかで鳥肌が立つほど集中力を高め、結果を残し続けてきた。

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 だからこそ、門田には1打席勝負の代打稼業がピタリとハマる気がした。「代打ホームランを年間3〜5本打てば"代打の神様"になっていましたよ」と向けると、門田の目が一瞬険しくなり、「何を言うとるんや」という調子で返してきた。

「たった5本でどうするんや。やるなら、代打でキングや。ターゲットをそこに置かんでどうするんや」

 10年近くも話を聞いておきながら、まだ門田の本質を見誤っていた。代打で年間2割8分、30打点、5本塁打程度の成績で満足できる男であるはずがなかった。

「あの頃はシーズン130試合やから、毎試合1打席立ったとして、40発打つには3試合ちょっとで1本のペースか......。なかなかのノルマやけど、コンディションと集中力が続いて、相手がきっちり勝負してきたら不可能やない。一度、規定打席をやっとこさ超えた年に40発打ったこともあったしな」

 門田が言うのは、アキレス腱断裂から復帰した1980年の話だ。シーズン途中に足に死球を受け1カ月近く戦線離脱。規定打席をわずか27打席オーバーの430打席(377打数)で41本のホームランを打つなど、「休んでなかったら60本も見えとったと今でも思う年や」と振り返る絶好調のシーズンだった。

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