リアル「あぶさん」になっていた⁉︎門田博光が明かす幻のヤクルト移籍話 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 約30年前の記録をたどりながら話していると、門田は「そう言うたら......」とこれまで耳にしたことのないエピソードを語り始めた。

「俺が引退するという報道が広がった時、ユタカが電話してきたことがあったんや」

"ユタカ"とは、南海で2年間一緒にプレーした江夏豊のことだ。ともに一匹狼タイプにして寂しがり屋。多くを語り合うことはなかったが気持ちは通じ、大阪球場での試合終わりには、門田が運転しない江夏を車に乗せ、自宅まで送ることもたびたびあった。その江夏から、引退報道の最中、門田のもとへ電話が入った。

「なんやろうかと思ったら『ヤクルトに行くつもりはないか』って言うてきてな。こっちは新聞にも"引退"って文字がデカデカと出て、辞める段取りができていたから『その気はない』と言うたんや」

 江夏自身、現役の最期に燃え尽きる場を求め、メジャー挑戦のため海を渡った。シーズン半ばで聞こえてきた盟友の引退報道に心の内を察し、燃え尽きる場をつくってやりたいと思ったのかもしれない。

 その場所がヤクルト──。当時のヤクルトの監督は野村だ。江夏にとっての野村は、先発からリリーフ転向を進言し、選手にとっての生きる道をつなげてくれた恩人でもある。江夏からの電話の意味を、門田はこう推測する。

「あの頃、ユタカは解説をやっとったはずやから、とくに俺をヤクルトに勧める理由があったわけやない。ひょっとしたら、おっさん(野村克也)と話でもした時に"門田"の名前が出て、本人にその気があるなら(獲得を)考えようか......と。そのへんの感触を確かめるための電話やったんとちゃうか。あくまで俺が勝手に思うとるだけやから、真相はわからんけどな」

 野村と門田の仲は、当時もその後も"微妙"な感じで伝えられてきたが、門田はキッパリとこう言う。

「ほとんどはマスコミが面白おかしく言うとるだけやし、おっさんは勝つために必要やと思うたら、声をかける人。そこに好き嫌いは関係ないわ」

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