「ケガの功名」で進化した魔球。牛島和彦は執念でフォークを習得した (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

 だが、プロの世界は甘くない。無双と思えた牛島のピッチングだったが、徐々に相手打者にとらえられるようになっていく。

「フォークとは本来、150キロ前後の速球を投げられる投手のほうが有効に使える球種なんです。速い球に合わせようとすると、どうしても始動が早くなり、ボールの見極めが難しくなるんです。でも現役時代の僕のように、真っすぐが140キロちょっとのピッチャーがフォークを投げて打者のタイミングをずらしても、ファウルにされてしまう。だから、5年目のシーズン終盤の頃になると、真っすぐ、カーブ、フォークだけで抑えるのは相当困難になっていましたね」

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 そしてもうひとつ、牛島が苦労したのがクセの修正だった。

「フォークは指でボールを挟むため、モーションに入ってからその動作をすると、どうしてもグラブが一瞬広がってしまい、右ヒジも少し動いてしまうんです。それがバレると、いくらいい落ち方をしても通用しない。なので、フォークを投げる際はグラブを開いた状態にし、あらかじめ人差し指でポジションを決めて、モーションに入ってから素早く挟むようにしていました」

 いつしかフォークは牛島の代名詞となったわけだが、6年目からは新たにシュートとスライダーをマスターし、さらに投球の幅を広げていった。

「8年目からはロッテでプレーすることになるのですが、パ・リーグの選手は『牛島はフォークピッチャーだ』という印象が強かったようで、あえてフォークを投げなかったんです。それが功を奏し、うまく抑えることができました。その後もチェンジアップを覚えたり、僕にとってはフォークを生かすためのステップアップとして、さまざまなことに挑戦していった感じですね」

 最後に、牛島にとってフォークとはどのような存在だったのか聞いてみた。

「フォークがあったことで、ほかの球種も有効活用できましたし、僕にとっては生命線ともいえるボールでした。投手としての幅も広げることができましたし、フォークがなかったら10年以上もプロの世界でやれなかったと思います」

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