「人的補償の呼び方はどうなのか」。鶴岡一成が語る経験者の気持ち (3ページ目)

  • 森大樹●取材・文 text by Mori Daiki
  • photo by Kyodo News

 今の鶴岡の役割は、自分の経験を生かして選手の活躍を後押しすること。「人的補償」という表現に苦言を呈すのも、自身と同じ境遇に遭って移籍した選手たちに、前向きな気持ちでプレーしてほしいという思いがあるからだ。もちろん移籍そのものは、必要としてくれる場所があるということで決して悪いことではない。

「トレード、FA、人的補償と、全部経験できるなんてめったにないことですし、阪神への移籍がなければもっと早くに辞めていたかもしれません。望まれて行くことに関しては何の抵抗もなく、むしろ面白い野球人生だったと思います。

 自分の経験を選手たちに伝えるというのもおこがましいですが、選ばれて移籍できることに関しては野球人生のプラスになったので、そのことは伝えられると思います。移籍は自分を成長させてくれました。それを指導者として生かそうとしていること自体が、移籍を通して得た学びのひとつかもしれません」

 巨人時代には優勝も経験できた。勝ち切ることの難しさと、それを乗り越えた先の喜びを知っていることは、指導者人生においても大いに役立つだろう。

「やはり選手時代は、勝つことが自分にとって一番大切なことでした。幸いCSやリーグ優勝、日本シリーズと日本一も経験でき、そこに至るまでのひとつひとつの勝利が野球人生においてプラスに変わっていったと思います」

 DeNAは今シーズン4位と苦しんだものの、長い低迷期を抜け出してAクラスの常連、ひいては優勝争いに食い込むほどチーム力が上がってきている。さまざまな形での移籍を重ね、チーム事情によって異なる役割を担い、勝利の味を知る鶴岡が、長く優勝から遠ざかるDeNAに足りない要素を補える存在であることは間違いない。

 2度ハマに戻りし男・鶴岡一成のもとで次代を担う扇の要が育ち、選手それぞれが自分自身の役割を全うした時、再びチームが星を掴む日が訪れる。

(つづく)

■鶴岡一成(つるおか・かずなり)
1977年5月30日生まれ、兵庫県高砂市出身。1995年プロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)から5巡目指名を受けて入団。巧みなリードで投手を引っ張り、4球団で通算21年間の現役生活を送った。現在はDeNAの二軍バッテーリーコーチを務める。
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