「軽い気持ちで挑戦があっさり変化」潮崎哲也の人生を変えた魔球誕生秘話 (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

 でも僕は、最初から驚くほど狙ったところに投げられたんです。いま思えば、本当に自分にピッタリの球だったんでしょうね。

 つけ加えれば、その感覚は社会人(松下電器)時代に養われたんだと思います。あの頃の社会人野球の打者は金属バットを使用していたので、少し力のある人なら芯を外してもホームランになるんです。だから、シンカーを投げる時は「タイミングや芯を外して打ち取ろう」ではなく、「バットに当てさせないこと」を心がけていました。

ありえない軌道で変化した「幻のナックルボーラー」三浦清弘の魔球>>

 当時の僕の投球スタイルは、「真っすぐは高く、シンカーは低く」でした。ただ、得意のシンカーでも苦手なタイプはいました。プロでいえば、新井宏昌(元近鉄など)さんのようなコツコツとバットに当ててくる左打者には簡単にヒットを打たれた記憶があります。

 逆に、バットをブンブン振り回すタイプの打者には、自信を持ってシンカーを投げられました。

 プロ入り後もそうですが、とくにシンカーに磨きをかけようとはしませんでした。ただ、2年目以降は、理由はわからないのですが、自分が理想とするシンカーとちょっと違ってくるようになってしまって......。相手の目が慣れてきたというより、自分の感覚の問題でしたね。

「なんだ、この変化球は?」と徐々に疑問を持つようになって、それからは手首の角度を45度くらい傾けた"速いシンカー"を投げたり、いろいろ試行錯誤しましたが、理想の変化には戻らず......。いつしか「まぁ、このくらい曲げればいいか」と、キッパリ割り切るようになりました。

 でも、このボールには本当に感謝しているんです。シンカーがなかったら、高校卒業後は草野球レベルでしかやっていなかったと思いますし、社会人に行って、プロに入れるなんて、まったく想像もできませんでした。それがあのシンカーのおかげで、野球人生が大きく変わったわけですから。

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