江川卓の指名と田淵×真弓トレードの真実。「根本陸夫の右腕」が激白

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第21回
証言者・浦田直治(3)

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 1977年11月14日、クラウンライター(現・西武)新監督に根本陸夫が就任した。チーフスカウトの浦田直治にとっては、中学時代からよく知る野球界の先輩。「これはもうこき使われる」と覚悟したが、いざ対面した根本はそのような関係性をいっさい示さなかった。

 ドラフト直前、初めて根本が出席した編成会議。「私が監督になりました。スカウトの仕事も手伝うときはあるから、よろしく」と挨拶しただけで、個別の指示もない。後輩として、スカウトの長として、どう感じたのか。のちに「根本の右腕」と称される浦田に聞く。

「何も言われなかったのは、根本さんが全部知っていたからでした。僕がチーフスカウトをしていて、どういう選手を獲ってきたか、全部。そのうえでクラウンのスカウティングに関して、こうせえ、ああせえ、とは言わなかったですね。ほかのスカウトには何か言ったかもわかりませんが、僕には何も。それで、いちばん最初にふたりで獲りに行ったのが江川だったんです」

巨人を熱望していた法政大・江川卓だったが、クラウンライターが1位で指名した巨人を熱望していた法政大・江川卓だったが、クラウンライターが1位で指名した 監督就任から1週間後のドラフト会議。クラウンは同年最大の目玉である剛速球右腕、江川卓(法政大)を1位で指名した。当時のドラフトは12球団がまず指名順を抽選で決め、それに従って順次、希望選手を指名する方式。抽選の結果、指名順は1位がクラウン、2位が巨人となって江川を指名できたわけだが、獲得が極めて難しいことは浦田もわかっていた。

 江川は作新学院高校(栃木)の3年時、73年ドラフトで阪急(現・オリックス)に1位指名されるも、入団交渉すら拒否。以降も"巨人志向"の姿勢を崩さず、77年ドラフトの3日前には江川サイドが記者会見を開き、「江川は巨人入りを強く希望している。よって、他球団による指名は回避してほしい」と宣言。それでもクラウンが果敢に指名した背景には何があったのか。

「指名順位だけ決まって、12球団、各テーブルで昼食をとっている時です。パ・リーグ5球団のスカウト部長が揃って僕のところに来て、『江川、行くんだろ?』って言う。『いやいや。それはオーナーが決めることだから』と返したら、『江川、行ってくれ。来なくてもいいから行かないと、パ・リーグの灯が消える』って言うんですよ」

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