山本浩二と衣笠祥雄が築いた強いカープ。八重樫幸雄はベンチに違いを感じた (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

【衣笠祥雄さん、どうぞ安らかに......】

――まさに「チーム一丸」というのは、そういうことなんですね。

八重樫 ヤクルトが初優勝した1978年のベンチもそんな感じだったし、チームが低迷期に入っていた1980年代のヤクルトベンチには「観客」がいたのも事実だね。いずれにしても、カープには浩二さんと衣笠さんという2人の精神的支柱がいて、それによって若手がさらに頑張るという好循環ができていたよ。

 実際に試合でも、「四番・山本、五番・衣笠」が控えているから、「一番・高橋」が何とか塁に出てすぐに盗塁して、「二番・山崎」が進塁打を打って、チャンスで四番、五番に回し、どちらかで1点を取る。そういう得点パターンが出来上がっていたな。

―― 一番の高橋慶彦さんが塁に出た時点で、相手ベンチはイヤだったでしょうね。

八重樫 イヤでしたよ。一死三塁、ランナーは慶彦。そこで、浩二さん、衣笠さんに打順が回ってきたら、「1点は仕方ない。長打だけは気をつけよう」という意識に変わりました。慶彦はスタートがいいから、内野ゴロでも点を取れる。本当にイヤらしい打線だったし、それぞれが自分の役割を徹底していましたね。

――カープの一時代を担った衣笠さんは、2018(平成30)年4月23日、71歳で天に召されました。

八重樫 本当に惜しい方を亡くしました。まだお若いのに......。浩二さんは「表に出る人」、衣笠さんは「裏に回る人」という役割が自然とできていたのかな? 浩二さんが目立つことが多かったかもしれないけど、対戦相手としては衣笠さんのしぶとさは本当にイヤでしたよ。現役晩年までずっと全力疾走も続けていたし、野球に対して常に真摯な方でした。一方で、他球団の若手にも気さくに声をかけてくれる温かい人柄の人でしたね。

――本当に惜しい方を亡くしてしまいましたね......。

八重樫 本当にそうだよね。ぜひ一度は監督をやってほしかったな。指揮官になった衣笠さんがどういう野球をやるのか見てみたかった。それはもう叶わないけど、あの雄姿はいつまでも忘れません。

(第46回につづく)

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