川崎憲次郎が明かす中日FA移籍の真実。
当初はヤクルト残留かMLBの二択だった

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

 FA宣言すると、即座に連絡をくれたのが中日だった。

「交渉はヤクルトが先だったので、提示された金額もすべて新聞に出ていました。それを中日は見て、『うちはもっと出すよ』とすぐに条件提示してくれました」

 ヤクルトには感じられなかった「気」が、中日からはひしひしと伝わってきた。

 同時に、海外からもオファーが次々と届いた。インディアンス、フィリーズなど5球団が手を挙げたなか、最も早く条件提示したのがレッドソックスだった。

「2年契約最低保証金5億円」。当時そう報じられたが、「もっとありました」と川崎は振り返る。さらに家族が渡米する際には飛行機のファーストクラスが用意され、ホテルはスイートルームに宿泊できる。日本ではあり得ない高待遇に加え、熱意の証が添えられていた。オーナー直筆の手紙だ。

「英語なので何が書いてあるかはわかりません(笑)。でも、まさかそんなことをしてくれるとは思っていないじゃないですか」

 レッドソックスの好条件は、報道を通じて日本にも知れ渡った。

「メジャーがそれだけ出すなら、うちも出すよ。4年いたら出て行ってもいいから、とりあえず来てくれよ」

 負けず劣らず熱心に誘ってくれたのが、中日だった。佐藤毅社長から3度に渡って便箋計40枚の手紙が届き、星野仙一監督や、交渉担当役の児玉光雄球団代表補佐からも熱意が伝わってくる。

 夢を追うならレッドソックスだが、家族を最優先するなら中日だ。両者とも、心から自分を必要としてくれている。もちろん、良き仲間たちがいるヤクルトに残りたい気持ちもある。

 なかなか答えを出せない一方、周囲はそんな胸の内を知るよしもなかった。スポーツ紙には「川崎、3年12億要求」とありもしない話を書かれ、記事を目にしたヤクルトファンが「川崎、何様だ!」とインターネットの掲示板に怒りをぶつける。虚像の世界で、川崎は"悪者"に仕立て上げられた。

「もちろん嫌ですよ。でも、プロ野球選手だから情報が全部出るわけです。当時は『どうせ、言われているだろうな』くらいしか思っていなかったです。だって、仕方ないじゃないですか」

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