中日移籍後0勝で開幕投手に。川崎憲次郎「かすかな希望を抱いていた」 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

 客観的に見ても悪質な嫌がらせだが、川崎自身は必ずしもそう捉えなかった。ハガキを買って投票してくれた人が、相当数いたと聞いたからだ。

「お金を払ってまで、わざわざ嫌がらせなんてしないだろうと思ったんです。普通、3年間何もしていないピッチャーの名前が挙がるなんてことはないですから。本当に応援してくれている人のために、俺は頑張ろうと思いました」

 きついヤジや悪意ある言動は胸に刺さる一方、復活を信じてくれるファンもいる。プロ野球選手としての矜恃(きょうじ)が、川崎を前へと突き動かした。

 リハビリの日々を送るナゴヤ球場は、グラウンドとスタンドの距離が近く、ヤジがよく響くことで知られていた。とりわけブルペンは観客席の目の前にあり、川崎は投げるたびにきついブーイングを浴びせられた。

 移籍3年目のある日、ナゴヤ球場のスタンドから一人の男が勢いよく降りて近づいてきた。またヤジられるのか......。そう思ったが、ネット越しにかけられたのは正反対の言葉だった。

「ナゴヤドームで待っているからな!」

 どこの誰ともわからないファンのひと言は、消えそうになっていた川崎の闘争心に火をつけた。

「俺を応援してくれている人が、まだいるんだって感じました。それで、投げ出すわけにはいかないと思ったんです。3年目は本当に一番きつい時だったけど、自分には責任があったし、ちゃんとやり遂げないとダメだなって」

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 復活への執念を強くすると、前に導こうとする男が現れた。契約最終年となった2004年の1月2日。新監督に就任した落合博満から電話がかかってきた。

「2004年の開幕投手はおまえでいくからな」

 寝耳に水だった。落合に会ったことは1度もない。監督自ら新年の挨拶をくれるなんてすごいなと、ぼんやり考えながら受話器をとった。すると、中日初登板となる"開幕投手"が告げられたのだ。

 川崎の答えは、ひとつしかなかった。

「俺には別に断る理由もないし、もしかしたらそれがきっかけで治るかもしれない。かすかな願いがあったんですよ。これで俺は復活できるかもって」

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