伝説の日本シリーズ、強かったのはどちらか。西武ナインそれぞれの答え

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

黄金時代の西武ナインから見た野村克也
第7回「終章」

【選手の背後で存在感を発揮した野村克也】

 1992(平成4)年、翌1993年の日本シリーズは西武とヤクルトが熾烈な戦いを繰り広げ、1992年は西武が、1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。2年間で合計14試合が行なわれ、対戦成績は7勝7敗のイーブンだった。

1992年に日本一になった西武(左)と1993年に日本一になったヤクルト(右)photo by Sankei Visual1992年に日本一になった西武(左)と1993年に日本一になったヤクルト(右)photo by Sankei Visual 筆者が、この2年間の死闘を描いた『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)を執筆した動機は、「西武とヤクルト、どちらが強かったのか?」という思いからだった。

 また、同時に「両チームの決着は着いたのか?」という疑問が原動力となり、西武とヤクルトの関係者、のべ50人に話を聞いて歩く日々を過ごすことになった。本連載は、その取材過程で感じたことをあらためて整理する契機となった。

 本連載の第1回「序章」でも述べたように、こちらが尋ねる前に西武ナインが、自ら「野村監督が......」と切り出すことにすぐに気がついた。こちらが黙っていても、先方から野村について語り始めるのだ。ヤクルトナインによる「野村評」はこれまでさまざまな形で紹介されていたが、「西武ナインによる野村評」は新鮮だった。

 西武ナインの反応を見ながら、広澤克実(本名:広沢克己)の言葉を思い出した。かつて広沢は、「当時のヤクルトのチームリーダーは?」という質問に対して、「リーダーは野村さんですよ」と断言したあと、こんなことを口にした。

「野村さんは、僕らの後ろに控えている感じなんです。選手たちの後ろで温かく、いや、温かいかどうかは別として(笑)、見守ってもらっている感覚です。『オレらに知恵はないけど、監督が授けてくれる』という感じ。僕らは、その知恵を実践していけばいい」

 広沢の言うとおり、西武ナインはグラウンド上で対峙しているヤクルトの選手ではなく、その背後に控える「野村克也」という存在に脅威を抱いていた。それは、西武ナインが口々に語るエピソードによって確信になった。

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