「森・野村」のハイブリッド野球で優勝。辻発彦と渡辺久信が両監督から学んだこと

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

 一方の野村に対してはどのような印象を持っているのか?

「"ID(Import Data)野球"というのは、結局は確率の問題だと思いますね。そこに、バッター心理、ピッチャー心理、キャッチャー心理を加味したもの。野村さんの野球は、確率であり、統計の野球だと思います」

 さらに、辻は続ける。

「野村さんはあれだけの大打者だから、打つことに関していろいろ考えていた印象で、森さんはピッチャーを含めたディフェンスのチームという感覚でしたね。僕は西武時代に、『とにかく一点を守り抜け』という野球を学んできました。

 でも、野村さんの場合は『スリーボールからでも打っていい』という大胆な考えの持ち主でした。古田(敦也)や池山(隆寛)が、ここぞという場面でヤマを張ってヒットを打っているのを見たときは、『これがID野球か』と驚きました」

【「野村の教え」を加味したことで、ともに優勝監督に】

 新天地で迎えた1998年シーズン。渡辺久信は3年ぶりの完投勝利をマークする。「野村再生工場の本領発揮だ」と期待が募ったものの、結局1998年はこの1勝だけに終わり、この年限りでチームを去る野村とともに、渡辺は台湾球界に転身する。渡辺は言う。

「ヤクルトでは成績を残すことはできなかったけれど、現役晩年に野村さんの野球を学ぶことができたのは自分にとっての大きな財産になりました」

2017年から西武の監督を務める辻 photo by Hasegawa Shoichi2017年から西武の監督を務める辻 photo by Hasegawa Shoichi 一方の辻は、ヤクルトに移籍した1996年にキャリアハイとなる打率.333を記録。まさに「野村再生工場」の面目躍如だった。その後、若松勉監督時代の1999年まで、充実した現役生活を送った。ヤクルトに移籍した直後、野村は辻にこう言ったという。

「1992年日本シリーズは、お前のプレーでヤクルトは負けたんだ」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る