八重樫幸雄「あの時のアイツだ!」。プロ入りした西本聖を見て驚いた (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【当時のジャイアンツのエースは、やっぱり江川】

――西本さんは、江川さんに激しいライバル意識を燃やしていたように見えました。八重樫さんは「江川&西本」のライバル関係をどう見ていましたか?

八重樫 やっぱりエースは江川だったと思う。でも、前回も言ったように、西本は努力で必死に成績を伸ばしていった。もちろん江川も人には見せなかっただけで、陰で努力をしていたと思うけど。あと、江川は引き際もスパッとしていたよね。自らのプライドで引退を決意したのか、それとも報道でウワサされていたように、株式や不動産投資など「お金の問題」があったのかはわからないけど、あと数年はプレーできたと思うよ。

――江川さんの現役晩年は、ボールの質が落ちてきていたんですか?

八重樫 落ちてきていたと思いますね。かつてはバットがボールの下をくぐるような空振りばかりだったのに、晩年にはファールやポップフライが増えてきたから。そういうことは本人が一番痛感していたんじゃないかな。

――「空白の一日」騒動でジャイアンツに入団したものの、1979年から1987年までの実働9年の現役生活でした。

八重樫 入団してきた時はやっぱり、「この野郎」という思いで対戦したことを思い出すよ。それなのに、飄々(ひょうひょう)としたまま投げ続けて、こちらはまったくバットに当たらない。だから余計に腹が立つ(笑)。反対に、西本は闘志むき出しだったね。一度、アイツに当てられたこともあったな。

――故意の死球だったんですか?

八重樫 たぶん意識的に狙われたな。バッターは、たまたまなのか狙われたのか、わかるものなんですよ。ちょうど、うちの投手がジャイアンツのバッターにデッドボールを与えたんで、その報復だったんです。一応、帽子を取って頭を下げたから許したけど。あれは明らかに狙っていたよね(笑)。

――あらためて、この両投手を振り返っていただけますか?

八重樫 本人たちも言っているようだけど、当時のジャイアンツは江川も西本もメラメラと激しいライバル意識を持っていたようだよね。「どちらかが練習を切り上げるまで、延々とピッチング練習を続けた」という逸話もあったし。1980年代、長嶋(茂雄)さん、藤田(元司)さん、そして王(貞治)監督時代は、あの2人がいたからジャイアンツ戦は面白かったんだよ。対戦していてもとても楽しかったからね。

(第41回につづく)

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