五十嵐亮太がヤクルトの若手たちに贈る言葉。プロの世界で生き抜く術 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 五十嵐はこれまでの人生の半分以上を、プロ野球というチームスポーツのなかで生きてきた。ヤクルトで14年、ソフトバンクで6年、アメリカでは3年間プレーし、マイナーリーグのチームに所属したこともあった。

「試合に勝った時にチームメイトと喜びを分かちあえる。チームがひとつになって、ひとつの勝ちを必死になって取りにいく。僕はどんな時も前向きに、その瞬間瞬間を受け入れてやってきました。なかなか勝てない時、うまくいかない時もありましたが、投げ出さずにやることができた。僕に限らず、これからも選手全員がそうやっていくべきだし、(苦しみは)通過点なので選手たちは自信を持っていいと思います」

 昨年の沖縄・浦添での春季キャンプ。10年ぶりにヤクルトのユニフォームに袖を通した五十嵐は、球団の恒例行事である「少年野球教室」に参加。ブルペンでは少年たちが代わる代わるピッチングを披露していて、五十嵐はひとりの少年に声をかけた。テイクバックが気になっているようだったが、「ピッチングを続けて」と言って、少年の投げる姿をジーっと眺め考え込んでいた。

「よし! 今までそのテイクバックでやってきたんだから、今はそれを大事にしていこう。その代わりに、ここをこうしてみたらどうだろう」

 そのアドバイスの効果は抜群で、少年は面白いようにストライクが入り出した。

 引退会見後の囲み取材で、将来的に少年野球に携わる考えを持っているのかについて聞くと、五十嵐はこう答えた。

「正直、野球人口がどんどん減っていくのは、僕自身もつらいことです。野球をやってきて、もちろんつらいこともあったのですが、本当に楽しかったし、こういう環境でプレーできたのは本当に幸せなことだと思っています。今のところは細かくは考えていないんですけど、多少なりとも携わっていけたらいいかなと思います」

 五十嵐は引退後もヤクルトはもちろん、日本球界に大いなる貢献を果たしてくれるに違いない。

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