2020.11.08

わざと振り遅れてホームラン。
「プロ最年少の四番打者」が考えた極意

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 2006年から連覇を果たした日本ハムだが、投手力を含めた守りはいい反面、攻撃陣は破壊力不足。晴れて入団して開幕まで順調に過ごせたら、清原のように1年目からクリーンアップを任されるかも──。そこまで妄想がふくらんだとき、土井さんの伝説が浮かび上がった。

 新人獲得は自由競争の時代、土井さんは大阪の大鉄高(現・阪南大高)を2年で中退し、61年に近鉄に入団。1年目に一軍出場はなかったが、新任の別当薫(べっとう かおる)監督に見込まれた2年目、オープン戦ながら4番で起用された。

 通常より1年早い入団で、1943年12月生まれの土井さんはその時点でまだ18歳。つまりは史上最年少、[18歳の四番打者]が誕生したのだった。公式戦では主に6番、7番だったが、当時の近鉄が低迷していた事情を踏まえても、性急にすぎると思える大抜擢。背景には何があったのだろうか──。

 近鉄電車の大阪上本町駅からタクシーに乗って5分。指定された交差点で降りて歩道に立つと、20mほど先に土井さんが待ってくれていた。駆け寄ると目を丸くしてニカッと笑顔になったのだが、その快活な表情はこれまでのイメージに相反するものだった。

 僕が土井正博という選手名を初めて知ったのは小学5年生のとき、76年の太平洋(現・西武)時代。野球カードで見た、鋭い目つきを怖く感じた。他のどんな選手よりも怖かったことを憶えている。その印象が消えないまま間近でプレーを見る機会もなく、現在まで来てしまった。

 近年は西武のコーチとしてベンチにいる姿を映像でよく見ていたが、白髪に白い髭をたくわえていたときの風貌は威厳に満ちて、近寄り難い人、と感じていた。思えば、土井さんの笑顔を一度も見たことがなく、文献資料にある現役時代の写真もやはり目つき鋭く、険しい表情ばかり。見れば見るほど、子どもの頃に感じた怖さがよみがえっていた。

 ところが今、ご自宅で目の前にいる土井さんはいたって朗らか、眼差しもやさしい。野球の現場とは違う、くつろげる空間だから当然なのかもしれないが、これほどイメージと差のあるケースは過去にない。あらためて挨拶を交わして名刺を渡すと、「すいません、ボクは名刺ありませんので」と頭を下げた土井さんはソファに腰かけた。