アキレス腱断裂で「一発必中の精神」へ。
門田博光は鳥肌を立てて打席で集中した

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 高知県中村市で行なわれていた春季キャンプ中盤。アップ中に左足を高く蹴り上げた瞬間、断裂音が響き、激痛は脳天まで走った。今から約40年前、スポーツ医療もまだ進んでいない時代。さすがの門田も「ユニフォームを脱がなあかんかなという感じになった」と振り返った衝撃の出来事だった。

 なんとか前を向こうと、海外で同様のアクシデントから復活した選手の情報を集めるなどしたが、なかなか気分は上向かなかった。そんな時、担当医が雑談のなかで口にした言葉が門田に突き刺さった。

「これからは走るのがしんどくなりますから、全部ホームランを狙ったらいいんですよ」

 野球に詳しくないという医師が放った軽いひと言に、門田は「そんな簡単には打てまへんで」と返した。すると医師は「1試合で4回打席に立てるなら、4回ホームランを打つチャンスがあるんですよね? 打った人はいないんですか?」と聞いてきた。

 いつもなら「現実と理想は違うんや」「畑違いの理論は言わんといてくれ」と言い返すところだったが、この時は「たしかにな......」と考えたという。そこへ浮かんできたのは、1試合で4打席連続本塁打を記録したことがある王貞治のことだった(1964年5月3日、後楽園球場での阪神戦で記録)。

「思ったのはこういうことや。ほとんどの選手は1打席目にホームランを打ったら、あとはヒットでいいと思う。まして2打席目のホームランなら『今日はもう十分』となって、3打席目からは心が逃げてしまう。それまでのオレもどこかでそうやったんやろう。でも、王さんは逃げないから4打席連続も含め、あれだけの数(868本)のホームランを打てた。オレもその心を持ったらどうなるんやろう......そう思ったんや」

 懸命のリハビリの末、シーズン終盤に復帰して2本塁打。完全復活となった翌1980年は、シーズン初の40本塁打越えを達成し「カムバック賞」を獲得。ここからホームランアーチストとしての道が一気に開けた。

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