巨人GM時代を振り返る鹿取義隆。「根本の遺産」を随所に見せつけられた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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 そう思える選手たちをしっかり獲ってきたのが西武のスカウトであり、そのいちばん上にいたのが根本陸夫、浦田直治だ。

 たとえば、全国的には無名だった西武の若手が第一線で活躍すると、鹿取は同僚にスカウティングの話を聞いていた。すると決まって根本、浦田の名前が出るので、いつも感心しきりだった。これも外から来た選手ならではの感覚だろう。

「当時の西武、強さの要因は守備力だと思うんだけど、これはもちろん、スカウティングの段階から守れる選手を獲っていたということがある。それプラス、選手を育てていく過程で、守備に関するコーチの指導もよかったんだと思う」

 1990年の日本シリーズは巨人が相手となった。敵地・東京ドームで連勝スタートとなっても、「いやいや、こんなチームじゃないよ」と鹿取は言った。前年まで巨人でプレーした選手としてナインに忠告したのだが、結局、4試合で終わってしまった。

「勝ってうれしかったけど、巨人に対しては『こんなチームじゃないはずだ』と思うだけだった。だから、巨人以上に西武が強くなっていたと。90年から日本シリーズ3連覇、リーグ5連覇だからね。それほど強い西武に入ったことで僕自身の集中力が増して、コンディションはずっと現状維持ながらも長く頑張れたと思う」
 
 巨人で11年、西武で8年。通算755試合登板で91勝46敗131セーブ、防御率2.76という成績を残し、鹿取は97年限りで現役を引退。翌年から古巣に戻ってコーチとなり、二軍では自らパソコンで選手のデータを管理し、動作解析プログラムを導入して技術指導に活用。今ではどの球団も採用する合理的かつ科学的な手法を、先走るほど早くに取り入れた。

 2000年、2002年と巨人の日本一に貢献し、2001年にはドジャース傘下1Aでコーチ留学。2006年は第1回WBCの世界一を支え、2014年から侍ジャパンのテクニカルディレクターに就任すると、U−15代表監督も務めた。さらには定期的に大学生投手を指導するなどアマチュア野球への理解も深いことから、2017年4月、巨人のGM特別補佐に任命された。

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