2020.10.21

巨人GM時代を振り返る鹿取義隆。
「根本の遺産」を随所に見せつけられた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第18回
証言者・鹿取義隆(3)

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 打球は右中間に飛んだ。瞬間、スリーベースと判断した鹿取義隆はベースカバーに入るため三塁方向にダッシュ。ライトとセンターが必死に飛球を追うシーンが思い浮かんだが、振り返るとセンターの秋山幸二がグラブを構えている。そしてライトの平野謙がしっかりバックアップに入っている......。「本当かよ⁉︎」と鹿取は驚いた。

 1990年4月20日の近鉄戦。巨人から西武に移籍した鹿取が、初めて西武球場で登板した時のことだ。キャンプ中から野手の守備レベルの高さを感じてはいたが、公式戦で身に沁みて思い知った。助けられた本人が当時を振り返る。

2017年から2年間、巨人のGMを務めた鹿取義隆「それまでのキャリアだったら間違いなくスリーベース。だからカバーに走ったんだけど、秋山が捕りに行っていて、『平野さん、えっ、バックアップ?』って。これはもう投げている者にしかわからないけど、完全な長打コースがアウトだから。すごいチームに来たな、と思った」

 新たに西武の抑えを任された鹿取だが、数多く三振を取るタイプではなく、バックの力に頼らざるを得ない。その点、当時の西武は内外野ともに鉄壁の守備力を誇り、鹿取とすれば「ホームランとフォアボールさえ避ければいい」と考えて登板できた。

 結果、移籍1年目に24セーブポイントを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得。2年ぶりの優勝に大きく貢献した。

「2年目のキャンプの時、夜のミーティングでみんなに話す機会があって、『守備範囲にしても肩にしてもすごい。スローイングも正確だし』って言ったんだよ。そしたら『いやいや、普通ですよ』って返してくるから、『あなたたちはわかってないと思うけど、普通じゃないから』ってやり取りをしたことがある。
 
 彼らは『当たり前のことをやってるだけ』なんだよね。でも、外から来た僕は『すごい』、『うまい』となる。別に巨人のレベルが低いと言うわけじゃなくて、とにかく西武の守備力が高かった。内野も清原(和博)だってうまかったし、辻(発彦)、田辺(徳雄)、石毛(宏典)、キャッチャーの伊東(勤)、みんなすごかった」