3試合連続サヨナラ本塁打を食らった男。「もう取り憑いちゃったね」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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「ただ、その74年は13セーブですよ。当初はね、セーブ付くの1イニングで2点だったから。今は3点だけどね。だから、3点差で行くと『ただ働き』って言ってたぐらいだからね。何もないなって。まあでも、今の抑えは9回、1イニング限定だもんね」

 タバコに火をつけ、軽く腕を組みつつ、声のトーンを下げて言った。当時の抑えは7回、8回から、それも走者がいる場面での登板がほとんどだった。「1イニング限定」を簡単に認めたくない、という気持ちがあるのかもしれない。

「あの頃、いつもランナーいるから、セットが当たり前。だから『ワインドアップで投げさせてくださいよ』って言いに行ったこともあるよ。イニングの先頭から投げたいということで。でも滅多にないんだよね。

 出番があるときはまずランナーがいて、出番がないときはボロ負けか完投でしょ? ここで打たれりゃ、オレ、出番あんのにな、とか思いながらブルペンで投げてたけどね、えっへっへ。出番がなきゃ、商売になんないですからねえ」

 出番といえば、佐藤さんは完全にリリーフに定着したわけではなかった。75年は先発起用があって、完投も3試合。翌76年にはまたもやリーグ最多登板を果たすと、2回目のセーブ王のタイトルを獲得する。

 ところが、同年に阪神から移籍した江夏豊の存在によって、翌77年の佐藤さんは先発に回ることになる。野村克也監督の方針で江夏が抑えになるわけだが、このとき、江夏には、『佐藤ミチが築いた分野を荒らすことになる』という気遣いもあったようだ。

「うん。まあでも、江夏は本当は先発したかったんだよね。それが体調の問題で、長いイニングは無理って考えが野村さんにあったんじゃないかな。それで野村さんに呼ばれて、『ミチ、おまえ、先発やりたかったよな? 言ってたよな?』『はい』って。で、『江夏を抑えにするから』っていうんで、オレは先発になった」

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