「獲らしてください」とノムさんに直訴、プロ野球初代セーブ王が誕生 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 取材後に調べてみると、いかにも長池さんの一撃は記録にからんでいて、しかも3試合目に飛び出していた。『プロ野球データブック』(宇佐美徹也著)に以下のような記述があった。

〈3試合連続サヨナラ本塁打を浴びたのは48年、南海の佐藤道郎投手。この年、60試合中58試合がリリーフで11勝をマーク(当時はセーブのルールなし)したように抑えの切札として活躍したが、5月30日、後楽園球場のロッテ戦で1点リードした9回裏、代打の榊親一に逆転サヨナラ3ランされたのがケチのつき始め。1日置いた6月1日、西宮球場の阪急戦で9回裏福本豊に、翌2日のダブルヘッダー第一試合でも11回裏長池徳二にと、立て続けに打たれて3連続黒星をつけられたものだ〉

 救われるのはこの昭和48年=1973年の南海がリーグ優勝を果たしたなか、阪急(現・オリックス)とのプレーオフで佐藤さんが2勝を挙げ、MVPを獲得していることだ。ありえないような抑え失敗にもめげすに優勝に貢献したんだな、と思えるし、当時の野村克也監督も佐藤さんを要所で起用し続けたのだと推察できる。

 ただ、それにしても3試合だ。1試合はともかく、2試合続いた時点で、投げるほうも起用するほうも及び腰になるものではないか。首脳陣が絶大な信頼を寄せていたとしても、投手本人は翌日にでもマウンドに上がるべく、すぐに気持ちを切り替えられたのかどうか。

 そう思って佐藤さんの球歴をあらためて見ると、日本プロ野球にセーブが公式記録として導入された74年、パ・リーグの初代セーブ王に輝いている。今やセーブはあって当たり前の記録だけれど、新たに導入された当時、選手たちはどう受け止めたのか、興味が湧く。

 その点、前述の『プロ野球データブック』では、〈当時はセーブのルールなし〉と注釈した上で〈抑えの切札〉と記されている。すなわち、役割としての抑え投手はすでに存在していたようだ。実際にはどうだったのだろう。

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