野村克也の打撃に門田博光は一目惚れした「ほんまもんのプロの打球や」 (5ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

「元気づけようと思って『そんなん乗ってたらあきませんよ』と言うたんやけど、いつもみたいに反論してこんかった。ただ、ちょっと元気ないなとは思ったけど、そのあともテレビで見かけていたから、まだしばらくは......と思ってたんやけどな」

"ID野球"で花開く前の野村と、稀代のホームランアーチストとして輝く前の門田がもがきながら大阪で過ごした8年。振り返れば、門田は前年に阪急ブレーブスからの指名を断っての南海入りだった。

 もし南海に入っていなければ......とは、つまりはもし野村克也と出会っていなければ......と同意である。

「まったく違う野球人生になっていたのは間違いない。というか、おそらくすぐクビになって辞めとったやろうな。170センチの72キロ、誰が見てもわかるような一段上の力を持っていたわけでもないし、性格も周りからしたら変わり者。そんな人間が頂点を極めるまでいけたというのは、南海でノムさんやったからや。まあ、そういうことになるんやろうな。鬱になるぐらいしんどかったけど、一番思い出すのはあの頃のころ。ほんまに、まあ、よう鍛えてもろうたわ」

つづく

(=敬称略)

プロフィール
門田博光(かどた・ひろみつ)/1948年2月26日生まれ。天理高からクラレ岡山を経て、1970年にドラフト2位で南海に入団。2年目の71年に打点王を獲得。79年のキャンプでアキレス腱を断裂するも、翌年に復帰。81年には44本塁打を放ち、初の本塁打王に輝く。40歳の88年に本塁打王、打点王の二冠を獲得。その後、89年にオリックス、91年にダイエーでプレーし、92年限りで現役を引退。2006年に野球殿堂入りを果たした。通算成績は2571試合、2566安打、567本塁打、1678打点。

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