野村克也の打撃に門田博光は一目惚れした「ほんまもんのプロの打球や」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 さらに春季キャンプで、初めて打撃練習を見た時の衝撃は今でも鮮明に残っている。

「ショートの頭を越えてそのままフェンスも越えていくライナーがとにかく強烈。これが『ほんまもんのプロの打球や』と一目惚れしたんや」

 門田が現役時代にこだわった「お客さんをうならせるプロの打球」----トップモデルは野村の弾道だった。

 年齢はちょうどひと回り違いで、血液型も同じB型。

「だから、なんか似てるところがあるんや。パッと言えばパッと返してくるサッチー(野村沙知代)みたいなタイプが好きやというのもようわかる」

 そう言って笑ったが、相手が言わんとすることもわかるだけに、何度も衝突を繰り返した。

「そんな下から振ってどうするんや! 何回言うたらわかるんや!」
「そこまで振らんでも飛んでいくと言うとるやろ!」

 打席での門田は相手だけではなく、ネクストの声とも戦わなければならなかった。野村にしてみれば、尻もちをつくほどの空振りを繰り返し見せられては、なにか言わずにはいられなかったのだろう。

 テーブル上でスポーツ紙をめくると野村の現役時代のバッティングフォームの連続写真が載っていた。門田はそこへ視線を落としながら、「そもそも違うんや」と解説を始めた。

「あの人の打ち方は、今で言うたら西武の中村(剛也)と同じ。極端に言えば、体重移動は20~30センチで、きれいな二等辺三角形をつくって相手のボールの力を利用して、ええポイントで打ったら飛ぶという理論。だからオレみたいに大きく足を上げて、ステップも広いスイングを見せられたら気持ち悪うてしゃあなかったやろう。『オレは上背がないからきれいに打っても飛ばんのです』と言っても、三冠王の理論で封じ込めにきよる。『うどんの食べ方も、山の登り方もいろいろあるじゃないですか』と何回言うてもあかんかった」

 1970年の入団から8年、野村のもとでプレーしたが、門田の記憶によれば5年目あたりから風当たりは弱まったという。門田がホームランアーチストとして本格化するのはまだ先のこと。打線の軸として成長するなかで扱いも変わっていったのかと思ったが、門田はまったく別の理由を挙げた。

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