野村克也の打撃に門田博光は一目惚れした「ほんまもんのプロの打球や」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

「もう50年か......わしらが見てきたのは東京に行ってからの柔らかいノムさんやなくて、もっとダイレクトに喜怒哀楽を出してた頃の激しいノムさん。あの当時を一番知っていて、あの人に一番厳しくされたのはオレやろうな。あの人はピッチャーには優しくて野手にはきつかったんやけど、オレにはとくにや。

 ほかの選手ならしょぼくれるのに、オレは反論するから余計に理論で封じ込めにくる。23、24歳の若手があれだけ実績のある、まして監督に反論するなんて普通では考えられん。オレもよう言ったなと思うけど、ようやり込められたわ(笑)」

 ある時、野村が門田にボソッとこう言ったという。「○○におまえと同じように言ったら潰れる。飴をぶらつかせて働かせるのも大変なんや。わかるやろ?」と。

「『わかりますよ』と言うたらニヤッとしとったけど、そういう会話もできたんや。オレに飴は必要ないと思われたんやろうけど、今になってみたら面白い時代やった。"鶴岡丸(鶴岡一人監督)"の余韻が残っているなか、新しく"野村丸"をつくり上げていこうという時期。厳しかったけど、オレら選手の話も聞いて自分の知識力を上げていこうというところもあった。

 オレが南海に入ったのは22歳で向こうは34歳で監督。こっちもリーダーに臆することなく入っていく性格やったし、ノムさんも駆け引きなしでしゃべってきた。ようぶつかったけど、長男と末っ子みたいな感覚の面白さがあったわ」

 振り返って門田が自身の打撃を語る時、もっとも多く名前の挙がる打者は圧倒的に野村だ。「この世界で生きていく」と、覚悟を決めた門田がまず出会ったのがその5年前に戦後初の三冠王に輝いた野村だったのだ。

「入団が決まって、所属事務所に行ったらえらい恰幅のええ人がおって近くの人に聞いたら『野村監督や』と。それまで顔も知らんかったけど、あの時目にした胸板の厚さが強烈やった。『プロには(ホームラン)5本には5本の、20本は20本の、40本には40本の胸板の厚さがあるんかと知ったんや』

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