田澤純一が語るいきなりメジャーの12年間「自信があったわけではなかった」 (3ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi

◆巨人と西武との間で起きた鹿取義隆の争奪戦

 そのルーキーイヤーに2勝(3敗)を挙げ、順調にメジャーリーガーとしてのキャリアを歩むかと思われた2010年の春。右肘の靭帯損傷が見つかり、トミー・ジョン手術を受けることになった。

「『97%は帰ってこられる手術』だと言われましたが、『もし、残りの3%の結果になったらどうするんだろう?』という考えが頭をよぎりました。人生で初めて1年以上も野球をしない日々が続く不安もありましたが、チームからは復帰までのプランについてきちんと話してもらえましたし、心理的な負担は少なかったように思います」

 しかし異国の地での手術は、ヒヤリとした場面もあったという。

「手術を終えて手術台からベッドに移された時に、すごい衝撃を感じました。肘からブチッという音が聞こえたんですよ。麻酔が切れたかどうか、というタイミングだったので、ところどころ記憶が曖昧なんですけど......。次の日に見たら、この時の衝撃で肘が血だらけになっていました。もし、傷口の中だったら大変なことですよね。『アメリカは雑だな』と思いましたよ(苦笑)」

2013年にはレッドソックスのワールドシリーズ制覇にも貢献 photo by Kyodo News2013年にはレッドソックスのワールドシリーズ制覇にも貢献 photo by Kyodo News 思わぬアクシデントもありながら無事に手術を終えた田澤は、2011年9月に2年ぶりのメジャー昇格を果たし、翌年には37試合に登板。3年ぶりの勝利と初セーブもマークするなど、徐々にリリーフ投手としての地位を確立していった。71試合に登板した2013年は、上原浩治、クレイグ・ブレスロウらと共にブルペンを支え、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。

「試合数が多く、休みが少ない。そういう意味ではきつい部分もあったと思います。でも、アメリカのリリーフ投手は、電話が鳴ってからブルペンで投げるんです。一方で日本では、登板の前からキャッチボールをしながら準備するので、それだけ投球数が多くなる。それぞれの『しんどさ』がありました。僕の場合は、トレーナーやコーチと体の状況について話し合いながら、うまくやれたと思います」。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る