2020.09.17

巨人と西武で大物選手の争奪戦。
鹿取義隆「根本さんのすごさを感じた」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

「たしかに巨人に勝って、86年から西武は3年連続日本一になったけど、89年は近鉄に負けているんだよね。2厘差で3位になって、森(祇晶)さんがオーナーの堤(義明)さんに言われたのが、『監督をやりたければどうぞ』みたいな言葉だった。たぶん、そこから森さんは捲土重来を期したと思う。それなりの弱点がチームにあったわけだから」

 89年10月19日、東京・原宿の国土計画本社。森はオーナーの堤を訪ね、シーズン終了報告を行なった。同行した根本と球団代表が「来季も森体制でいきたい」とフロントの決定事項を伝えたあと、記者会見で堤が言った。

「根本から聞きました。監督がやりたいんだったら、おやりになればいいんじゃないですか。どうぞ。バックアップもやります」

 森の続投はこのひと言で決まったが、近鉄と最後まで優勝を争ったことへのねぎらいはなく、最大11ゲーム差を縮めたことにも「11ゲーム離れたほうがおかしいんですよ」と放言。さらに「熱パといわれて、パ・リーグの人気が上がったということは、森監督はリーグ表彰されていいでしょう。私は優勝できなかったことが不満ですが......」と痛烈な皮肉をぶつけた。

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 以来、堤は"冷徹な経営者"というイメージがマスコミで取り沙汰されたのだが、常勝を宿命づけられたチームが1年でも優勝を逃すと厳しい、という現実が浮かび上がった。そこで敗因のひとつである「抑え不在」という弱点を補い、リリーフ陣を補強すべく、根本は鹿取の獲得を目指した。

「優勝を逃した近鉄との直接対決。郭泰源のリリーフに先発要員の渡辺久信を起用してたからね。誰の目にも抑え不在は明らかだった。だから、森さんがオーナーにも文句を言われないチームをつくろうとしたとき、僕が候補のひとりになったんだろうなと推測しました」

 加えて、89年のドラフトでは、1位で8球団が競合した目玉の野茂英雄(新日鉄堺)をあえて狙わず、右腕の潮崎哲也(松下電器)を単独指名。リリーフで即戦力と見込んでの新人補強で、チームの弱点を確実に補おうとする方針が見て取れた。