巨人と西武で大物選手の争奪戦。鹿取義隆「根本さんのすごさを感じた」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

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根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第17回
証言者・鹿取義隆(2)

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 1989年12月7日、所沢の西武球団事務所で行なわれた入団記者会見。鹿取義隆は巨人への愛着と感謝の気持ちを示しながら、「今日から西武ライオンズを一生懸命好きになります」と言った。「球界の盟主」と称される伝統球団から移った新天地は、本拠地移転後11年間でリーグ優勝6度、日本一5度。どのようなイメージを持っていたのか、鹿取に聞く。

西武移籍1年目の1990年に最優秀救援投手のタイトルを獲得した鹿取義隆西武移籍1年目の1990年に最優秀救援投手のタイトルを獲得した鹿取義隆「西武は僕がプロ入りした79年に誕生した新しいチームだから、早く強くしなきゃいけない、っていう意識があったと思う。そこでいろんな選手をトレードで獲ってきて、チームを変えていったよね。他球団で主力だったベテランで土台をつくり、その下を育てていく。そうして、徐々に生え抜きを軸としたチームになっていった」

 リーグが違う他球団にいても、「新しいチーム」だけに注目していた。そのなかで監督を務める根本陸夫が、編成の仕事も兼ねていることは伝え聞いていた。

「西鉄から太平洋、クラウンと名前が変わったけど、実質、同じ福岡で同じチームだったと思う。それが、根本さんがクラウンに監督で入って、西武になって、所沢に移ったことで一気に新しく変えられた。で、それを最初は根本さんひとりでやったわけだから。先を見て、絵を描いて。ようし、この選手出すから、この選手くれよと。すごいな、と思って見てました」

 西武に入ってその根本と間近に会い、言葉も交わした。第一印象はどうだったのか。

「それはもう『怖い』のひと言です(笑)。ご本人だけじゃなくて、根本さん一家というか......ファミリーの人たち。とくにスカウトの浦田(直治)さんは見た目が怖くて。チーム関係者じゃなければ避けて通りたいような、目を逸らして歩きたいような感じでした。それだけ凄味があって、なおかつ選手を見る目を持っていたわけだよね。

 それで直観したのは、スカウティングに関して、何か別のところを見ているのかなということ。巨人の場合、全国区の選手を見に行って獲ってきたところがあると思うけど、西武は目のつけどころが違っていて、草の根分けても獲りに行く。『街を歩いて、いろんな人に話を聞いて選手に接触していた』という話を聞いて、そこが巨人との差なのかと思ったね、当時」

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