球場で流しそうめん、金田正一伝説。元ロッテ応援団員が明かすトンデモ話 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

ロッテ球団職員として22年間勤務した横山氏ロッテ球団職員として22年間勤務した横山氏――応援団員をされていた期間は?

「1978年から1992年までですね。本拠地が千葉に移転して、オリオンズからマリーンズに変わってからも千葉マリンスタジアム(現在はZOZOマリンスタジアム)の内野で1年間やっていました。『そろそろ応援するのも終わりかな』と思っていたのですが」

――昔の応援団は内野席に陣取っていましたね。

「昔のほうが今よりいろいろな野次が飛んでいたと思いますが、ベンチにいる選手たちも野次を言うので、それをサポートするのが後ろにいるファン、というスタンスでした。だから、応援団が内野に陣取るのは当然。そこでプレーのことや世の中で話題になっていることを落語のネタをもとに野次ったり、三三七拍子をしたり、チャンスになるとワッショイワッショイやったりしていた。でも、野次は面白いのを飛ばさないと周りから怒られますよ。

 また、当時は外野から野次を飛ばすと『外野は黙ってろ』と言われましたね。今では考えられませんが、『高い金を払っていないのに文句を言うな』という考え方です。当時は、子どもなら50円くらいで外野に入れたのかな? とにかく、ファンならできるだけいい席で見たいというのが当たり前でしたね」

――横山さんと言えば、内野のフェンスの上に乗って応援していた姿が野球ファンに知られています。ファウルボールは当たりませんでしたか?

「1回も当たってないんですけど、よく当たらなかったと思いますよ(笑)。避けた記憶もないですし。当時、ロッテオリオンズに在籍していたレロン・リーさんのバットが近くまで飛んできて、すぐ下の金網にガチンと当たったことはありました。弘田澄男さんだけには注意されましたね。際どい球をカットするのがうまい右打者だったんですが、『カットした先にお前がいるから、オレの打席の時は(フェンスに)上らないでくれ』って」

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