2020.08.16

怖いもの知らずが招いた協約違反。
根本陸夫の立場は危うくなっていった

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 真剣に感じたわけではなかったが、以前と同じではなかった。それから1年も経たない1992年秋、根本は西武を退団してダイエー(現・ソフトバンク)に移った。

「その時、一瞬、オヤジのことが嫌いになったんです。実情はどうだか知らないんだけど、土地で失敗したか何かで......金のためにダイエーに行くんじゃないかと思ったから。でも、あとから考えたらそんな人じゃないし、実際にそうじゃなかったみたいね」

 根本が去って2年後の1994年、島田は二軍マネージャーから一軍マネージャーに昇格。森祇晶に1年、東尾修に7年、両監督に仕えてベンチ入りした。2002年からは営業部長、球場長を務め、2012年まで35年間、西武ライオンズに貢献し続けた。

 そのなかで特別な存在だった根本に言われた、今も忘れられない言葉がある。

「ある時、『資料を持ってケンカしろ』って言われたんです。会社内、球団内、『上の人間とケンカする時は必ず資料を持って行けと。で、ケンカするなら負けるな』と。要するに、自分の考えを裏付ける材料、相手を言い負かすだけの材料が必要だと。感情じゃなくて、理性、理屈だと。その点、アンタこそ、そうしなきゃ、と思ったけどね(笑)」

 感情を爆発させる姿に、偶然出くわしたことがあった。ホテルでの優勝報告会の最中、宴会場の控室で、ある二軍コーチに手を挙げていた。島田が目撃した根本の鉄拳はそれきりだったそうだが、祝いの席でさえもそこまで真剣にチームのことを考えていた、ということなのか。

「そのコーチは『口答えしたらやられた』と言っていました。人事の話だったようで......たしかに、常にチームのことを考えていたと思います。野球を楽しんでいました、オヤジは。それが結局は、選手を育て、コーチを育て、チームを育てた。逆に、自分で意識的に育てようとしたら育たないけど、あの人が行った3球団、全部、強くなってるもんね」

 広島、西武、ダイエー。すべて低迷中に根本が監督を引き受けたあと、時間がかかっても必ず強化され、連覇できるだけのチームがつくられた。その功績に島田は注目してきた。長年、プロ野球の現場に携わった立場で見れば見るほど、「大したものだ」としか言いようがないという。

「技術的な指導はできない、采配もできない。そういう面では、あまり野球のことは褒めたくないけど(笑)。やっぱり、偉大な男ですよ」

つづく

(=敬称略)

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