2005年伝説の日本一のロッテは「今では当たり前」の野球の先駆者だった (3ページ目)

  • 栗田シメイ●文 text by Kurita Shimei
  • photo by Sankei Visual

藤田 自分が覚えているのは、守備シフトかな。当時のパ・リーグはガッツ(日本ハム・小笠原道大)やタフィ・ローズ(オリックス)、松中(信彦/ダイエー)といった左の強打者が多くて、彼らには三遊間を大きく空けて一二塁間に人を集めるという極端なシフトを敷いた。面白かったのは、外国人選手はどれだけシフトを続けても自分のバッティングを変えなかったけど、日本人選手は空いたところを狙ってきたり......。結果的にシフトが裏目に出たこともあって、自分としては「抑えているのに」と複雑な思いをしたこともある(笑)。それでも自分たちのやることは変わらなかったけどね。

小林 藤田さんや自分とかは、はっきりと役割が決まっていたので「自分の仕事をするだけ」みたいな雰囲気がありましたよね。

藤田 打線が頼もしかったから、細かいことを考える必要がなかった。点を取られたとしても、最少失点に抑えたら逆転してくれると。

小林 プレーオフでも、(松坂)大輔や西口(文也)さんが来ようと、うちの打線なら打つと思っていた。正直、どこが相手でも怖くなかった。(今江)敏晃、(西岡)剛というイケイケの若手がいて、サブロー、福浦(和也)、(小坂)誠といった中堅がチームを引っ張る。そこに掘(幸一)さんや初芝(清)さんといったベテランも控えていて、バランスがよかった。

藤田 若手がのびのびプレーできる土壌があったよな。

小林 あえて投手目線でいえば、キャッチャーはまだまだ経験不足だったけど(笑)。サト(里崎智也)もタスク(橋本将)も、リード面に関してはまだまだで。だから、僕とか藤田さんは自分でサインを出していましたよね。伸び盛りの捕手に責任を追わせたくないというのもあったし、なにより打たれた時に後悔したくなかった。

藤田 たしかに。サトもタスクも、若手投手とはうまくコミュニケーションとっていたけどね(笑)。あの年はうちもよかったけど、ソフトバンクも強かった。貯金が40を超えるチームなんてほとんどないわけで。思い出すのがシーズン山場の9月のソフトバンク4連戦。

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