2020.08.12

「暴れん坊球団」で高卒いきなり
レギュラーを張った毒島章一という男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 そんななか、毒島さんは落語好きだったから談志師匠と接点があったそうだが、僕はてっきり、毒島さんも「暴れん坊」だと思い込んでいた。思い込みが払拭されたのは、東映ファンの作家、佐山一郎の一文に触れてからだ。『駒沢に猛者たちがいた。』と題されたコラムで光が当てられていた。

〈「駒澤神話」でとかく見過ごされがちなのが、福本豊(阪急)に次ぐ三塁打106本の記録を持つ毒島章一の存在だろう。左打ちの好打者は性格温厚で、血気盛んな異端児集団の人望を集めた。〉
 
 まったく、「暴れん坊」ではなかった。この記述だけで、毒島さんが入団6年目、23歳の若さで主将を務め、のちに[ミスターフライヤーズ]と呼ばれた由縁が感じ取れる。続いて、積み重ねた記録が紹介される。

〈現役を終わってみれば、実働18年、ベストナイン3回、2056試合に出場し、7148打数、1977安打、122本塁打、688打点、平均打率2割7分7厘。「名球会」入の条件を満たす2千本安打までは、あと23本。オールスター戦にも昭和31年以来18試合に出場し、21打数8安打、2本塁打の打率3割8分1厘。〉

 文中の〈あと23本〉が、2012年5月、もうひとつのきっかけになった。というのも、同年4月28日に日本ハムの稲葉篤紀、5月4日にはヤクルトの宮本慎也と、通算2000本安打の記録達成が相次いだ。その一方、ソフトバンクの小久保裕紀は1999安打まで打った後、腰の故障のため5月25日に登録を抹消されたが、いずれ復帰して達成するのは間違いない。

 文献資料によれば、毒島さんが〈あと23本〉で断念した要因は右肘の故障だった。ケガなら仕方なかったのか、と思えるが、他の文献によると、じつは右肘は快方に向かっていたらしい。しかし、毒島さんは当時の田宮謙次郎監督から再三コーチ就任を要請され、同監督からの「2000本安打は達成したも同然」という声もあって現役を引退したようなのだ。