石川柊太の魔球「パワーカーブ」が結ぶ、伊藤智仁、ダルビッシュとの縁 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Koike Yoshihiro

 その佐藤コーチは社会人野球のプリンスホテルで活躍していた頃、日本代表としてバルセロナ五輪に出場した。その時にともに日の丸を背負って戦ったのが、のちにヤクルトで衝撃的なデビューを果たす伊藤だった。そうした縁もあり、間接的に伊藤のスライダーが石川へと伝わったのだ。

「細かいことは覚えていないんですが、とくに今のようなボールをイメージしていたわけじゃないんです。もともとスライダーを投げられなくて、佐藤コーチから『こういう握りもあるんだぞ』と教わったのが最初だったと思います。伊藤さんのような速くて曲がるボールを求めたんですけど、僕が投げてみると大きく曲がるというか、曲がりすぎてしまうし、さほど球速も出ませんでした」

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 石川は、2013年育成ドラフト1位でソフトバンクに入団。最初の背番号は「138」だった。

 当時の取材ノートを見返すと<ベース盤の端から端を横切るほど曲がるスライダー>とメモしていた。石川はこのボールを「スライダー」だと認識していた。そして、これを決め球に配球を組み立てることに固執していた。

「だけど、僕のなかでは操れないボール。大きく曲がりすぎるし、スピードも中途半端だったし......」

 そこで石川は発想を変えた。それが入団4年目、2017年のことだった。前年シーズン途中に支配下登録を勝ちとり、一軍デビューを果たしたシーズンだ。

「『これはカーブなんだ』と考えるようにしました。カウント球にもできる球種。『大きく曲がってもいいんだ』とも」

 胸のつかえがとれた石川は迷いなく腕を振った。大きく曲がることも武器としてとらえたことで、思いきった考え方ができるようになった。

 右打者に対して投げる時は、バッターの顔を目がけて投げるのだという。「本当にぶつけちゃいけないですけど、それが僕のイメージです」と屈託なく笑う。自信にあふれた者にしかできない表情だ。チーム内からもその軌道には驚きの声が上がった。

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