根本陸夫が作った恐るべき情報網。西武の元マネージャー「これが人脈か」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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 ファームのある選手が所沢市のスナックで飲んでいる時、腕に墨が彫られた男と殴り合いのケンカになりながら、表沙汰にならずに済んだことがあった。この事件、一夜のうちに根本が解決したと伝えられているのだが、じつは陰で島田が動いていた。

「ケンカもそう、女性関係もそう。本当に面倒だったけど、たまたま対処できる人間を知っていたから事なきを得たんです。あとは交通事故、交通違反と......、写真週刊誌の女性問題もあったな。あれは出版社から事前に連絡が来るので、そこで『ちょっと待て』と、写真を差し替えてもらう。その借りをつくったら返さないといけないわけだけど、返したのかどうか(笑)」

 一方で、二軍の現場では、根本の行動を疑問に感じる時もあった。しばしば練習の視察に来るのはいいとして、行きすぎた指導がなされていた。

「ひょこっと来て、若いピッチャーをつかまえて教えるんです。それで暗くなるまで投げさせる。当然ですけど、コーチは嫌がってね......。で、投げさせられた選手は誰も伸びていない。かえって潰れるんじゃないかと思っていました。

 たしかにオヤジは選手を集めるのがうまくて、選手を伸ばすためのコーチを育てるのもうまかった。でも、本人が技術を教えたらダメ。監督としての采配もダメでしたね。100年やっても勝てないですよ。戦術がいい加減だから」

 西武監督の1年目、根本は開幕当初から三塁に山村義則、遊撃に大原徹也を起用し続けた。いずれもミスが目立ち、守りで大きな穴になっているにもかかわらず代えない。若手成長株だった遊撃の真弓明信は阪神に移籍し、内野のリーダーになるはずだった二塁の山崎裕之が負傷離脱中という事情もあった。

 とはいえ、引き分け2つをはさんで開幕12連敗となっても代えないのを見て、島田は「何やってんだ、このオッサン......」と思っていた。のちに一軍マネージャーとして監督の東尾修に仕え、ベンチ入りしてからは「根本監督では勝てるわけがなかった」と気づかされた。

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