2020.07.05

今の投手も350勝できるはずや、
同じ人間やからと米田哲也は言った

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 通算310勝の別所毅彦は50年代の巨人、303勝のヴィクトル・スタルヒンは戦前の巨人を支えるエースだった。別所は南海で89勝を挙げた後に巨人で221勝を挙げ、9度の優勝に貢献。スタルヒンは巨人で199勝を挙げ、7度の優勝に貢献している。

「そういうことを考えるとね、弱いチームにいたから、ようしアイツら倒してやろう、強いチームを倒してやるんだという気持ちがあったと思うんです、各選手。それが頑張りにつながったんではないか、いう気がしますね。反抗心のようなもので。だいたい僕はね、9年目ぐらいまでは負け星のほうが多かったもんねえ」

 米田さんはテーブル上の資料に視線を落とした。19年連続二桁勝利だが年度別成績を見ると、3年目から9年目まで勝ち越しと負け越しを交互に繰り返している。もっとも、勝ち越した年はすべて20勝以上。9年目の64年からは5年連続で勝ち越し、18勝した67年には阪急が初優勝を成し遂げる。翌68年は29勝を挙げて優勝に貢献した米田さんがMVPに選ばれた。

「うーん。あんまりその時のイメージないんです。僕ね、昔からそうなんだけど、過去を振り返らない、という気持ちがあった。自分が元気で前向きでおったら、絶対、人間ってそうだと思う。いい結果が出ても振り返らない。だけどね、終わり頃はね、昔のこと思い出した。僕、いちばん最初に放ったのが水戸の球場なんですよ」

1956年4月3日、茨城・水戸市の堀原公園野球場で行なわれた対大映スターズ戦。米田さんはプロ初登板で初先発を果たすと、立ち上がりから無失点に抑えていく。阪急が3回に1点を先制したが、首脳陣に「ルーキーが勝ち星はあかん」と言われ、勝利投手の権利を手にする寸前、4回2/3で交替となった。

「そこで勝ってたら10勝やったの。だから1年目、9勝15敗なんです。で、入団以来、20年連続二桁勝利ができなかった。それを思い出しましたよ、終わり頃は。はっはっは」