千賀滉大を変えた魔法の言葉。「快速ノーコン」は球界のエースになった (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Hanjo Ryoji

 剛腕の基礎はできあがったが、まだそれは"エース道"の序章にすぎなかった。ただ速いだけでは通用しないのがプロ野球の世界。150キロ以上を投げる投手がいつまでもファームから抜け出せず、未勝利のままユニフォームを脱いだケースなど挙げればキリがない。

 千賀がまだ育成選手だったプロ1年目のオフから現在に至るまで、毎年欠かさず継続していることがある。それは1月にアスリートコンサルタントの鴻江寿治(こうのえ・ひさお)氏が主宰する自主トレ合宿に参加することだ。

 鴻江氏は独自の骨幹理論に基づき、体のタイプを「うで体(猫背タイプ)」と「あし体(反り腰タイプ)」に分けて、それぞれの体の特徴に合った動作や調整法を唱えている。

 千賀が鴻江氏と接点を持ったのは、ルーキーだった2011年の秋だった。当時、いちばん可愛がってくれていたチームの先輩である近田怜王(ちかだ・れお)が、翌年の1月にこの合宿に初めて参加することが決まっていた。そこで近田から「千賀も一緒にお願いできませんか」と頼んできたのである。

 近田は「中日の吉見(一起)さんも来るらしいよ」と話していたようで、愛知出身の千賀にしてみれば「あの吉見さんと!」と大喜びしたという。

 また近田は「まだ育成選手でお金がないだろう」と、期間中に泊まるビジネスホテルはツインの部屋を予約して居候させることにした。

3 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る