千賀滉大を変えた魔法の言葉。「快速ノーコン」は球界のエースになった (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Hanjo Ryoji

 千賀の言葉をそのまま借りれば「ドンケツのビリのビリ」で、プロ野球の世界に飛び込んだ。愛知の蒲郡高時代もまるで無名。地元のアマ野球に精通していたスポーツショップの店主が、ソフトバンクのスカウトにたまたま紹介したのが縁で見出された選手だった。

 球速は144キロの触れ込みだったが、本人は「それはたまたま。基本は130キロ台」と自虐的に笑っていた。

 プロ野球選手としての基礎づくりに励んだ1年目。当時、三軍投手部門を担当していた倉野信次コーチに厳しく鍛えられた。さまざまなトレーニングを行なったが、とくに印象に残っているのが腹筋の「1日ノルマ1000回」だ。

 当時、三軍戦の取材に行くと、試合の真っ最中でも球場正面入り口前の廊下にマットを敷いて、同期入団の高卒新人たちと並んでひたすら腹筋を鍛える千賀の姿があった。

「背筋は普段のランニングとかスクワットでつけることができるけど、腹筋は鍛えないとつかない。遠征中はホテルに戻ったあと、深夜から廊下に並んでやったこともありました」(千賀)

 その努力の甲斐あって、3カ月後、久しぶりにキャッチボールをして驚いた。「相手に届くまでのスピードが、明らかに速くなっているのが自分でもわかった」と衝撃を受けた。ピッチングの際、スピードガンに目を向けると150キロの大台に到達していた。

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