鈴木誠也が「練習の鬼」になったきっかけ。未熟さを突かれた屈辱の一戦 (2ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Nishida Taisuke

 そのなかで大きな分岐点となった試合を挙げるとすると、プロ2年目(2014年)のクライマックス・シリーズ(CS)ファーストステージの阪神戦だろう。

 第1戦は、エース・前田健太(現・ツインズ)が福留孝介のソロ一発に抑える好投も報われず、0−1で敗れた。

 そして、シーズン3位の広島にとっては引き分け以下でCS敗退となる第2戦。阪神先発の左腕・能見篤史に対し、野村謙二郎監督(当時)は、20歳の鈴木を「7番・ライト」で先発起用した。

 この年、レギュラーシーズンはおもに代打として36試合に出場した鈴木だったが、先発はわずか9試合。そんな鈴木が初めてのCSでスタメン出場の大抜擢を果たした。

 2打席凡退で迎えた第3打席は、0−0の7回一死満塁の場面だった。勝負を分ける局面、鈴木自身「代打が送られるかもしれない」と覚悟した。だが、その年限りで退任が決まっていた野村監督は動かなかった。

 まだ有望な若手のひとりに過ぎなかった鈴木だが、将来、広島の主軸になる──チームを去る指揮官からの無言のメッセージだった。鈴木もその思いを背負って打席へ向かった。

 併殺崩れでも外野フライでも1点を取れる状況だった。レギュラーシーズンでは得点圏でも、高卒2年目とは思えぬ落ち着きを見せていた鈴木だったが、CSの舞台は特別だった。高ぶる気持ちとは裏腹に、技術も精神力もまだまだ未熟だった。

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