2020.06.09

松永浩美から小久保裕紀、内川聖一へ。
根本陸夫が仕組んだリーダー継承

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第12回
証言者・松永浩美(4)

前回の記事はこちら>>

 交渉開始から2時間近くが経過していた。目の前で頭を下げる根本陸夫に「もう一度だけ、苦労をともにしてください!」と言われた途端、松永浩美の全身に鳥肌が立った。「私でよければ、お力添えさせてください」と松永は即答し、FA移籍第1号選手となった。

 FA元年の1993年11月28日。阪神からFA宣言していた松永は、ダイエー(現・ソフトバンク)監督の根本との入団交渉に臨んだ。阪神残留の可能性もゼロではなく、西武とも交渉。他球団からの話もあり、あくまでもフラットな状態だった。それが一気にダイエー入りに傾いたのはなぜだったのか。松永に聞く。

ダイエー移籍の1年目、松永浩美は打率.314でベストナインに選出された「今は弱いダイエーが西武みたいに強くなっていくんだ……オレがそのチームの礎になるのかと思ったら、ワクワクして。それは根本さんがチームづくりの構想を教えてくれたからなんだけど、最後は『ともに苦労してくれないか』っていうひと言が殺し文句になった。この言葉は男冥利に尽きましたね。2時間のなかにドラマがありました」

 実質的なGMを兼任していた根本は、元来の交渉術に加え、編成としての辣腕を発揮。西武との3対3のトレードで佐々木誠を放出して秋山幸二を獲得した。FA選手にしても、巨人を飛び出した駒田徳広の獲得も目論み、本人の自宅に電話したあと、記者にこう言っていた。