甲子園に愛された黒川家。全国V経験者の父が語る3兄弟の違いと指導法 (4ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Koike Yoshihiro

 息子たちにとってはよき父であり、よきコーチでもあるが、3人への接し方はそれぞれ違っていたと、洋行さんは言う。

「長男が幼い頃、『自分の息子ならできる!』と泣きじゃくるなか、結構スパルタで教え込んだことがありました。でも、それではアカンと。その経験から、次男にはポイントしか教えず、何か聞いてくるまでこっちは黙っていました。そうすると、質問が増えてくるんです。三男はほったらかしでしたね(笑)。自由にやってきたと思いますが、今ではLINEによく動画を送ってきて、質問してきます」

 高校進学の際も相談には乗ったが、最終的には行きたい学校を自分で決めさせた。

 長男は、日南学園の練習環境が見たいと言い、父とともに宮崎まで足を運び、自らの目で見て決めた。

 次男は将来的に関東の有名大学に進みたいと、当初は関東の強豪校への進学を希望していた。兄と同じく見学に行ったのだが、都合が合わず練習を見ることができなかった。その後、中学の試合で当時、智弁和歌山のコーチだった喜多隆志氏(現・興国高校監督)が現れ、「智弁和歌山でも頑張れば関東の大学に進学できる」とアドバイスを受け、そこから憧れを抱くようになった。

 智弁和歌山で1年から経験を積んでいくと、やがて目標は関東の大学からプロ1本へと変わっていく。

「正直、プロに行くにしても大学に進学してからと思っていました。高卒で即プロというのは怖かったですね。プロに行けると言われて行けなかった先輩や後輩を何人も見てきましたし、プロはそんな甘い世界ではないというのはわかっていましたから......」

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