2020.05.28

巨人・炭谷銀仁朗はナイスガイ。
万全の準備と仲間への気配りを忘れない

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 中学3年になると、投手と捕手の"二刀流"も経験。理由は明快で、ピッチャーが投げるボールよりも炭谷の返球のほうが速かったからだ。3年夏は京都大会の決勝まで進むも、最後はコールドで敗れ中学野球を卒業。思い存分、野球を楽しんだ3年間を、炭谷はのちにこう振り返った。

「バファローズはそこまで強いチームじゃなかったんです。でも、野球経験が浅かった僕にはそれがかえってよかったし、ノビノビやらせてもらったのがなにより。小学校5年で始めてから、ずっと楽しく野球をやっていました」

 そして高校は「あいつにとって宿命だった」(原田監督)という平安へ進学。3年間で甲子園出場は果たせなかったが、ここで心身ともにみっちり鍛えられ、2005年のドラフトで西武から1位指名を受けてプロの世界に飛び込んだ。

 幼少期からの成長をたどっていくと、両親から今の炭谷を連想させるいろいろなエピソードを教えてもらった。とくに印象的だったのは、何事にもしっかり備えるという慎重な一面だ。

 時間厳守はもちろん、たとえば小学校の開門が8時ならその前に到着して門を開くのを待ち、少年野球の練習が10時開始なら9時には行って、道具を出して準備していたという。両親揃って時間にはきっちりしていたようで、万全の備えはそうした家庭教育のなかで身につけていった。