規格外パワーで超特大弾に退場6回。記憶にも記録にも残ったパナマの怪人 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Kyodo News

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 その日の夜、ズレータはさっそく試合に出場した。そのデビュー戦もまた痛快な思い出だ。当時、絶対的エースだった斉藤和巳も「フリオのことで一番印象的な試合かもしれない」と大笑いして語ってくれたことがある。

 当時のダイエーは"ダイハード打線"と呼ばれ、超攻撃的野球がウリだった。とくにこの2003年は、松中信彦、城島健司、井口資仁、ペドロ・バルデスが"100打点カルテット"を形成し、チーム打率.297はプロ野球史上最高打率として今も記録に残っている。

 そんな超強力打線だったが、じつはこの年のオープン戦でチームの主軸である小久保裕紀が右膝のケガでシーズンが絶望となり、右の強打の三塁手を補強すべく獲得したのがズレータだった。

 しかし、蓋を開けてみると「三塁はちょっと......外野ならば」と直訴。首脳陣は首を傾げつつも、日本ハム戦に「8番・ライト」で出場させた。

 ところが、珍プレーのオンパレード。ライト線の打球判断を誤ったのに始まり、右中間への打球には「テレビで見とったら、フリオの姿が突然画面から消えたんですよ(笑)」(斉藤)のハプニング。じつは、走り出そうとしたらスパイクの片方が脱げ、足を滑らせたのだが、当時センターを守っていた村松有人(現・一軍外野守備走塁コーチ)も「あのシーンだけは忘れない」と笑う。そしてもう一本、またしても右中間へ飛んだ打球を、今度は追いかけないというオチまでつけた。

 今となっては笑い話だが、当日の試合後、外野守備担当の島田誠コーチは「外野起用はもうない」と激怒していた。

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