「ナックルの名手」を真似たホークスの大エースは、一発で爪を剥いだ (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 あらためて、三浦さんのナックルについてうかがいたい──。僕自身、過去に村上さんに取材していた経緯もあり、編集者を介して電話で話を聞かせてもらった。

「三浦さんのナックルはね、指の関節でつかむんじゃないの。アメリカのピッチャーと同じように、ボールに爪を立てるんです。指が長かったんだね。それですごい変化するもんだから、キャッチャーが捕れなくて。おでこにボールを当てたの、今でも憶えてますよ」

 かなり不規則な変化、と推察できる。試合では、東映(現・日本ハム)の張本勲が「ナックルを投げてこい」と打席で要求したという。相手打者も知っていたのなら、当時の球界では有名だったのか。三浦清弘という投手への興味が一気に高まり、ご本人に話を聞きたくなった。
         
 調べてみると、三浦さんは1938年に大分・別府市に生まれ、別府鶴見丘高3年時に夏の甲子園出場。同じ大分で1年先輩、別府緑丘高から西鉄(現・西武)に入団した[鉄腕]稲尾和久と投げ合ったこともある。卒業後の57年に入団した南海では1年目から1軍で登板している。

 プロ初勝利を挙げた59年、エースの杉浦忠が4連投4連勝を果たした巨人との日本シリーズにも出場。62年に自己最多17勝を挙げ、65年には防御率1.57でタイトルを獲得。前年から達成された南海のリーグ3連覇に貢献し、2ケタ勝利は計6回、73年に移籍した太平洋(現・西武)で3年間を過ごして引退するまで実働19年、通算553試合登板、132勝──。

 これだけ息が長く、[親分]と呼ばれた鶴岡一人監督率いる南海の黄金期を支え、輝かしい実績を残した投手。にも関わらず、名前さえ知らずにいた自分が恥ずかしくなったが、どの文献資料にもナックルに関する記述はない。投手としての特徴も、〈コントロールがいい〉と書かれているぐらいだった。

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