カープ史上最も愛された助っ人。エルドレッドの引退に誠也も松山も泣いた (2ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun

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 そう語っていたエルドレッドは、野村謙二郎監督(当時)ら首脳陣の指導に耳を傾け、広島伝統の"次の塁を狙う走塁"にも積極的にチャレンジした。

 追い込まれてから外角や低めのボール球となる変化球に手を出し、打ち取られる姿を何度も見てきた。ケガや外国人枠の問題だけでなく、調子の波の大きさから何度も二軍降格を味わった。

 それでも広島打線のなかでエルドレッドの"長打"は貴重な飛び道具であり、ひと振りで流れを変えられる存在だった。

「いつも自分に言い聞かせていたのは『なぜ日本のこの球団に必要とされてきたか』ということ。自分はホームランバッターで、高いアベレージを期待されているわけじゃない。何を期待されているのかといえば、ホームランを打つことであり、打点を挙げること。

 数試合ヒットが出ずスランプに陥った時でも、我慢してやっていればいつかホームランは出るし、打点も挙げられる。それを積み重ねることで、対処できるようになってくる。とにかく自分に求められることは何かを考えながらプレーすることで、長くできると思っている」

 来日1年目は7月からの出場ながら、チーム2位の11本塁打を記録。4番で開幕を迎えた2年目の2013年は右手首骨折もあり不振に陥ったが、9月25日の中日戦では球団初のクライマックス・シリーズ出場を決める決勝2ランを放つなど、強烈なインパクトを残した。2014年はシーズン169個の三振を喫したが、37本塁打を放ちタイトルを獲得。

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