大谷翔平はマンガを超える伝説級の存在。指名打者→クローザーのち衝撃が走った (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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 私はその6年前から、大谷翔平という選手を見てきた。最初に大谷を目撃した2010年10月8日13時59分に、私は自分のTwitterアカウントでこうツイートしている。

〈花巻東、初戦で敗れましたが、6回から投げた1年生・大谷翔平投手は衝撃でした。はっきり言って怪物です。1年生を誉めすぎるのは怖いですが、資格は十分あると思います。球界の宝であるダルビッシュのような投手になってほしい。 #kokoyakyu〉(@kikuchiplayerより)

 たまたま球場にいられた私が幸運だっただけで、誰が見ても同じような感想を漏らしたに違いない。それほど大谷の素材は類を見ないものだった。

 当時のサイズは身長191センチ、体重68キロ。四肢をムチのようにしならせ、全身の力を指先から伝えてリリースする。これだけの長身なのに、自分の体をイメージ通りに動かしていることがうかがえた。

 その日の最高球速は147キロだったが、球速以上にしびれたのは、低めギリギリのストライクゾーンに収まる爽快な球質だった。重力に逆らうように捕手のミットを突き上げる、思わず球審の腕が上がってしまうボール。球速だけを見れば6年後の「165キロ」が圧倒的に上なのは言うまでもないが、球質なら高校1年時に見せた「落ちない低めのストレート」のほうが鮮烈だった。

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