「代打・長嶋茂雄」の超サプライズ。
西本聖の引退試合で起きたドラマ

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 この年、一軍での登板はこの1試合だけだったのだが、それでも西本が二軍で記録したシーズン6完封はイースタン・リーグの新記録だった。結局、プロ2年目、二軍での西本は12勝4敗で最多勝を獲得する。ともに二軍暮らしだったとはいえ、ドラフト1位の定岡とドラフト外の西本の立場は、この頃にはすっかり逆転していた。

 西本のほうが定岡よりも上だと誰の目にも明らかになったプロ3年目。西本は才能を開花させる。1977年6月13日、川崎球場で行なわれた対大洋ホエールズ戦。1点をリードされた場面で登板した西本は、大逆転を成し遂げた打線の爆発によってプロ初勝利を手にした。

 この年の西本は2年続けて開幕一軍入りを果たし、プロ初先発を経験。以降はローテーションの谷間で先発しながら、たびたび敗戦処理のマウンドに立った。足を高々と上げたり、横から投げたり、全身で投げる喜びを表現しながら強気にインサイドへシュートを放り、アウトローに真っすぐを決めるイキのいいピッチングを続けた。西本の名はあっという間に全国へと知れ渡った。

 その一方で、西本は長嶋監督から勝負の厳しさを叩き込まれた。一軍で勝つことが当たり前になりつつあったプロ5年目の1979年夏、広島でコントロールを乱してフォアボールを連発し、試合をぶち壊した夜、西本は長嶋監督から20発の往復ビンタを喰らっている。西本は言った。

「なぜ逃げるんだ、打たれて命まで取られるのかと言って、殴られました。僕はあの監督の手のひらによって目覚めさせてもらった。あれがあったから大きくしてもらったという気持ちが心の中に残っています。長嶋監督はいつも自分の中にいて、頭から離れたことはありません」

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