「代打・長嶋茂雄」の超サプライズ。西本聖の引退試合で起きたドラマ (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

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 西本にとっての長嶋茂雄──。

 遡ること20年前の1974年、クリスマス・イブに行なわれた巨人の入団発表に臨んだ西本の目の前にいたのは、憧れ続けた"ミスター・ジャイアンツ"、長嶋茂雄だった。後列に立たされたドラフト外入団の西本の右前方には、現役を引退して監督に就任したばかりの長嶋が座っていたのである。

 しかし、甲子園にも出られなかった松山商(愛媛)のエースはその時、長嶋の視界には入っていなかった。ドラフトの指名から漏れ、与えられた背番号は58。ドラフト1位の背番号20、鹿児島実業のエースとして甲子園のアイドルとなった定岡正二に長嶋の視線は釘付けになっていたのだ。だから西本は同期入団の定岡に対し、反骨心を剥き出しにした。少しでも目立とうと、左足を天に突き上げて投げたりもした。西本はこう言っている。

「サダ(定岡)への対抗意識もあったかもしれませんけど、それより速い球を投げたかったんです。当時の写真を見たら、もう、反っくり返って投げていますからね。とにかく反動をつけて速い球を投げたい。その一心でした」

 西本はコンプレックスから、日々、練習に明け暮れた。あからさまに努力する姿は周りから疎まれるほどだった。やがてその努力は実を結ぶ。

 西本はプロ2年目、開幕一軍の座をつかんだのである。初登板は定岡よりも早い、1976年4月15日の甲子園球場。8点ビハインドという場面での敗戦処理、しかも阪神のマイク・ラインバックに3ランホームランを打たれたのだが、西本は19歳にして、長嶋がベンチから見守るマウンドに立った。

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