松坂世代のいま。PL出身・大西宏明が波乱万丈の野球人生を振り返る (4ページ目)

  • 広尾晃●文 text by Hiroo Koh
  • photo by Kyodo News

 大西は、2002年のドラフトで近鉄から7巡目指名を受け入団。この年のドラフトの自由獲得枠(2006年を最後に廃止)では、村田修一(日大→横浜)、永川勝浩(亜細亜大→広島)、和田毅(早稲田大→ダイエー)、新垣渚(九州共立大→ダイエー)、後藤武敏(法政大→西武)、長田秀一郎(慶應大→西武)、木佐貫洋(亜細亜大→巨人)、久保裕也(東海大→巨人)、江草仁貴(専修大→阪神)といった9人もの"松坂世代"が指名された。

 指名順位こそ低かったが、大西はルーキーイヤーから一軍出場を果たし、2年目には103試合に出場。だが、その年(2004年)のオフ、球界再編により近鉄はオリックスと合併し、大西はオリックスの選手となった。

 翌2005年も103試合に出場するが、2007年オフに同世代の古木克明とのトレードで横浜(現・横浜DeNA)へ。移籍1年目の2008年はキャリアハイの105試合に出場し打率.270をマークするも、翌年から出場機会を減らし、2010年に戦力外となる。

「球界再編がなければ、近鉄でレギュラーになっていたかもしれません。でも、球団が変わってレギュラーにはなれなかった。それだけの選手だったということです。オリックスから横浜にトレードされた時はつらかったですが、それでも(試合に)使ってくれた。僕自身、パ・リーグもセ・リーグも、関西のチームも関東のチームも経験できたことは収穫でした」

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