山田久志が引退を決意した衝撃弾。
清原和博はシンカーを完璧に捉えた
「ヤマ、オレの握りはこうや。でもな、お前はお前の考えでええ」
シンカーはこう握るとは言わない足立のぶっきらぼうな仕草に、山田は足立の男気を感じたのだという。
山口のスピードに触発されてピッチングスタイルを変えようと一念発起、シンカーを覚えた山田は1976年に26勝をマーク、念願の打倒巨人を果たして日本一に輝いた。しかも山田はこの年から3年連続でリーグMVPに輝き、押しも押されもせぬエースとして球界に君臨した。
スピードへのこだわりを捨て切れなかった若き日の山田がマークしたのは90勝。シンカーを自分のものにしてからの山田が積み重ねた勝ち星は、じつに194。山田のシンカーへの自信は、生半可なものではなかったのである。
話を1986年4月、清原との初対決に戻す。
山田がルーキーの清原にまず投じたのはストレートだった。これがボールとなって、2球目はカーブ。清原は空振り。さらにボール、ストライクのあと、追い込んでからの2球をファウルされた山田は「これはシンカーがいるな」と思わされ、7球目にシンカーを投げる決意をした。
「清原のスイングを見て、投げないと決めていたシンカーを投げさせられたんだよ。でも、シンカーを投げておけばあの頃の清原には打たれっこないと思ってたけどね」
清原は山田のシンカーを引っかけ、ショートゴロのダブルプレー。それでも山田は、清原のスイングスピードに背筋が凍るのを感じていた。
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