球史に残る大死闘。引退を決意していた
梨田昌孝が執念の一打を放つ

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Kyodo News

 およそ1年後の1989年10月14日。現役を引退し、解説者となっていた梨田は、MLBのワールドシリーズ取材のため米国に飛んだ。サンフランシスコのホテルに到着すると、とるものもとりあえず自宅に国際電話をかけ、受話器をテレビの前に近づけさせた。

 10月12日の西武とのダブルヘッダーを、ブライアントの4打数連続本塁打などで連勝した近鉄は、この日、藤井寺球場でダイエーを破り優勝を決めた。ちょうどテレビ中継されていたそのニュースが、太平洋を挟んで受話器の向こうから聞こえてきたのだ。

 1年後のハッピーエンド。2位・オリックスとのゲーム差は0、3位・西武とは0.5差という大接戦だった。

「"10・19"は、阪急が身売りを発表した当日でもありました。南海の身売りもこの年で、それまでパ・リーグというのはセ・リーグに比べて陽の当たることが少なかったんです。注目度が増し、活気が出てきたのは、この試合がひとつのきっかけになったんじゃないでしょうか」

 取材当時、梨田はそう締めくくった。そして、最後にこう付け加えた。

「いつか......当時のメンバーを集めて、延長戦の続きができたらいいですね」

 その後、梨田は近鉄(2000〜2004年)、日本ハム(2008~2011年)、楽天(2016~2018年途中)の監督を務め、2001年、2009年にリーグ優勝を果たした。だが、再び解説者として精力的に活動していたこの春、新型コロナウイルスに感染し入院。一時は集中治療室に入るなど容態が心配されたが、現在は一般病棟に移ったという。1日でも早い回復と、ぜひ延長戦の続きが実現されることを願っている。

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